(後)


 ケネスが洞窟を出ると、すかさず数人の騎士達が駆け寄ってきた。
 眩しさに目を細めていたケネスの後ろに、目深く布を被った性別も年齢も窺えない人を見て目を見張る。
「副団長!?それは誰ですか!?洞窟には誰も居なかったはずなのに・・・」
「ああ、こちらのご婦人は乗っていた船が難破してこの島に流れ着いたらしい。奥の水場で水浴びをしていたところ俺達が来たため驚いて水にもぐっていたらしい」
「そ、そうだったんですか・・しかし、なぜ顔を・・」
 疑わしげな声にもケネスはどこ吹く風だ。
「ここに流れ着く際に顔に大きな傷を負ったと言っていた。声も・・・・事故のせいで出しにくいらしい。」
「そうなのですか・・」
 気遣わしげな目線をを感じ、フードを被ったシリスはハラハラとしながら、騙していることに対して後ろ暗いものを感じ目線を下げ後ずさってしまう。
 その仕草さえも騎士たちには悲しげな女性のそれに見えたらしい。

(なんて言うか・・・すごい居づらい)

 ケネスに伴われ船に迎え入れられた。
 その間もシリスはもちろん顔を見せることもなく、会話もかすれた高い声を小さく出し言葉少なくやり過ごす。

 慌ただしく動き回る騎士団の人々を、懐かし気に眺めていた。

 かつて、自分も居た風景。自分の日常だった場所だ。
「どうした?」
「ん、ちょっと懐かしかっただけ・・・。」
「そうか・・・。ああ、そうだ。テッドはこの諸国を出たらしい。クールーク側から大陸を行ったと思われる。」
「そうなんだ・・。」
「ただ・・・さすがにこの船でクールーク側に着けることは無理だから、イルヤで一度降りてもらわなくてはいけない・・」
 最後まで世話できなくてすまない、とケネスは言い、シリスを見た。
「イルヤ・・?」
「ああ。イルヤは今復興作業が始まっていて、船の行き来も多いんだ。」
「そうなんだ。」
「そこで船を出してもらえるように頼んでおく。」
「ありが・・・とう。」
 掠れ、声が震える。
 目じりが熱く熱を孕み、涙がこぼれた。
「僕は、みんなの期待に、応えられなかった。あの時、僕は・・・っ」
「いいんだ」
 静かに、ケネスが言う。
「俺は、俺たちは、あの時お前がもどかしさに苦しんでたことを、わかってた。でも救う事なんて出来やしなかった。ただ、あいつだけだ。あの戦いで、お前は見つけたんだろう。俺たちを何を置いても、放してはいけないものを。それは誰もが見つけることの出来るたった一つのものだ。」

「俺はもう、お前に本当に大事なものを放してもらいたくないよ」

 兄の様に、労わるように諭すようにケネスは言い。シリスの涙を優しく拭ってやる。



 数刻過ぎ、船はイルヤの港に着く。
 シリスはケネスの後を歩き、目新しいイルヤの進歩を見た。
 活気があるとはまだ言えないが、黒い雲の小さな隙間から見える青空の下、せわしなく人々が復興に向け働いていた。
「こっちだ。」
「うん。でも誰に船を借りるんだ?」
「ああ・・・、ん。あそこに居た」

 二人の向かう先で、一隻の船の側に立つ体格の良い男が大きく手を振っていた。
「あ、れ?」
 被っていたフードを取り、シリスは開けた視界に映り込む風景に、そして輝くように笑う男を見て瞳を瞬かせた。
「シリス!!久しぶりだな!!」
「タル!!?」
「タルは今は騎士団から放れ漁師をしているんだ。あいつの船で、クールークまで送ってもらえ。」
 思わず駆け出すシリスをタルは受け止め、髪をわしわしと撫でた。
「生きてたんだな!会いたかった!!」
「タル・・!ゴメン・・・!!」
 またも涙を流すシリスにタルは労わるように笑い、首を振る。
「全部とは言わないけど、お前の気持ちはわかっていたと思うぜ。あやまる必要なんかない」
 タルはそう良い、またにっかり笑い船を出す準備をする。
 シリスとケネスもそれを手伝い、嘗ての見習いの頃を思い出し、思い出したように三人微かに笑った。

「さて・・そろそろか。」
「ああ。俺もラズリルの方に出来るだけ早くに戻らなくてはならないしな」
「そうか。」

 先にタルが船に乗り込み、シリスも続こうとするが後ろ髪をひかれたように振り向いた。
 立ち尽くすケネスを見つめる。
「ケネス・・」
「元気でな、シリス」

「僕は、忘れないよ。君のことも、皆のことも、忘れない。」

 数十、数百、幾つもの世界を見たとしても。

「俺も、忘れないよ。」



「「さよなら」」


 二人同時に行った別れの言葉を、シリスとケネス。そして甲板に立つタルの心に深く根付く。

 フードをそのままに、シリスは危なげなく船に乗り込む。
 ゆっくりと波に押される船から、どんどん小さくなる浜辺に立つケネスをシリスはずっと見つめていた。時に大きく手を振った。
 潮風が髪をなぶり、時々遮られる視界もそのままにただそれだけを見ていた。

「俺だって、忘れないぜ」
 隣りに立ったタルが言う。
「うん。」


 忘れない。
 大切な、大好きな人たちを忘れない。

 だから君も、覚えていて。

 どこにいるかも分からない少年の後姿を思い、シリスは期待に震える胸を押さえた。
 鼓動が、波打つ何かが今、シリスの背を押す。
 この船を未来へと押し出す。

 イルヤ近海を抜けると、空はたちまち黒い雲を払拭し、青空は頭上に広がり目に痛いほどの真っ白の大きな雲が遠くに見えた。


 晴れやかな空に。海に。




 僕は行くよ。君のもとへ。
 鼓動を、感じたまま。世界の鼓動に押され、波に押され。

 忘れないよ。
 僕を押し出してくれた人々を。

 君達を――――――



    2007.5.15
     ここからテッドを目指す旅が始まり、潮騒亡霊に続きます。
     シリスを知る人がいる時代に、群島諸国に戻ることはありません。


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