ふと気がつくと、隣りに慣れ親しんだ男が立っていた。


「ねえ、テッド。海に出ようか。」


 さらさらの髪が潮風に煽られ、彼の目は見えない。
 青い瞳はまん丸で、海中から海上を見上げたような不思議な光を孕んでいるはず。

 テッドはゆっくりと振り向き、彼の笑みを浮かべる口元を見つめゆっくりと息を吐いた。
 まるで亡霊のようだ。
 忘れ置いた彼を今ここに見つけ、自分は不思議な感覚に酔うようで、あやふやな思考が歓喜を見出している。



 大型船の甲板。ざんざん波が打ち、その音が時々耳に煩わしくて、安らぎを与えて。
 駆けて来るあいつの木を打つ足音が耳に残り、かすかな潮の匂いと共にやってくる青年。
 金茶の髪に細い赤い布を巻いて散らないようにしているようだが、柔らかな髪はふわりふわり揺れるばかりだ。
 気が遠くなるような過去、心まで少年に戻ってしまったような喝采の中。気が遠くなるような戦乱の中のこと。

 隣りに立つ彼の姿は自分と同じくあの頃のまま何一つ変わらない。装備品に違いはあるが、頭に巻いた赤い布も、金茶の髪の長さも何も変わっていない。

 あの時、テッドは彼は死んだのだろうと思った。いや、テッドだけではない、誰もが海に落ちた彼は死んだものだと再会を諦めていた。
 だから、あの後船が港に着いたと同時にテッドはあの船を下りた。あの戦いの中でテッドにとっての第一はただ彼の傍に居ることだったのだ。同じ道を辿る彼。同じ呪いを受けし彼。同じ苦しみを知る彼。
 もがく自分をなんとか浮上させ空気に触れさせてくれた彼の行く末は結局は絶望で、自分もまたそれをいつか辿ることになるのだろうという再確認をしただけだった。
 まさか余計なおまけまで自分の後を付いて回るとは思わなかったが、その男も幾重も前の頃にやはりこの巧妙に仕組まれた呪いで命を落としたのだ。
 その時でも馬鹿みたいに笑みを浮かべているのには恐れ入った。大丈夫だよテッド君そう繰り返したお前は全然大丈夫ではなかったはずなのに。襲い来る死に笑みを浮かべる人間なんかに、俺は二度と会いたくない!

 その、一人目が。

 テッドの視線を感じた彼はまたゆっくりと笑った。
 髪の合間から金茶の光る睫毛が影を落としているのが見え、それを見上げる自分の歓喜に少しの吐き気を感じた。
 微かな憤りも感じたが、彼がまだ自分の名を呼んでくれていることに息を吐き。

「ねえ、テッド。海に出ようか。」

 あの頃よくそう言って自分を誘う嘗ての彼を思い起こした。
「またいつか、二人で海へ出ようか。」
 挨拶もなしに、甲板で海を見つめていたテッドにそう言い、彼は笑った。潮風が頬を撫でる。
 優しいその懐かしい感触をまた思い出し、彼の笑みに昔の感触を思い出し、感情さえも吐露しそうになり。

「ああ。」
 不器用に、笑った。

 あの頃のままだ。
 覆い包むようなその笑みの空気も、耳に優しい名を呼ぶ声も、嘗てのまま。

「シリス。」

 名を呼ばれ彼は、また笑った。



 亡霊を見た。
 海の上でかの亡霊を見たのだ。
 祭り上げられ、空虚に笑う彼のその中に潜む
 苦悩を、苦しみを笑みで隠し、笑みを浮かべ死んでいった亡霊に会ったのだ。

 快晴の空の下、
 どこまでも広がる海原の船の上で。
 懐かしい亡霊を見た。


    2007.5.2 了
     笑って死ぬ奴と二度と会いたくないとか言っていても
     テッド自身もその時に笑みを浮かべてるんですよ。
     ホモホモしくなくてとっても遺憾




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