それからしばらくして、ケシュは亡くなった。 もともといつでも体調がわるい人で、過労で弱っている時に風邪を拗らせたのだ。 ケシュは看病をしてくれる家族がいないから、村の医者の家の病室のベッドに寝かされていた。 ケシュは苦しんではいなかった。 毎日村の女の人たちが交代でケシュの看病の手伝いをしに来ていた。僕は毎日ケシュの所に通って、みんなの手伝いをしたりしていた。 ケシュはその間、誰とも口を利かなかった。そしてまるで、何か悟ってしまっているような涼しい目をしていた。 ケシュが死ぬ前日、ケシュの容体が悪化してしまい、僕は心配になり無理を言って医者の家に泊めてもらった。 僕はずっと、ケシュの枕元に居た。 みんなはとても不思議がっていた。いつの間にテリュトとケシュは仲良くなったんだろうって。 別に仲良くなったわけではないんだけど、共通の友達をもったケシュを、僕は勝手に同志にしていた。 その夜は、ケシュはいつもよりも苦しそうにしていた。 喘ぐような息の中、焦点の合っていないような目で、僕を見た。そして言った。 「テリュト。」 低くて掠れた声だったけど、何とか聞き取れた。まさかケシュが僕の名前を知っていたとは驚いたけど。研究以外のことはどうでもいいというような性格なんだケシュは。 「なに?ケシュ」 「持って来て欲しい物がある。」 「持って来てほしい物?ケシュの家から?」 ケシュは頷いた。 「ああ。この前私が青空の水晶をしまっていた箱があるだろう。あれを、持って来てくれ。そろそろなんだ」 「そろそろって?」 まさか、そう続けようとしたけどケシュの鋭い目に睨み付けられ、僕は口をつぐんだ。 「勘繰るな。私が言いたいのは、そろそろあれが完成する頃だということだ。最期に、完璧なあれを見たい」 「なんだ。」 僕はあからさまにほっとしたため息をついた。そしてまた少し焦った。 「それを持ってくればいいの?」 ケシュはゆっくりと頷く。もう、離すのもつらそうだった。 「じゃあ、行ってくるよ」 僕は急いでケシュの小屋に向かった。 早くしないと、ケシュが今にも死んでしまいそうな気がしてしまう。 ケシュの小屋に着き、僕は戸棚の中の小さな小箱を見つけた。少し光が溢れている。 「これだ」 完成品の、完璧な青空の結晶。見てみたい。水晶から溢れた綺麗な光が完璧になったら、どれくらい綺麗なんだろうか。 でも、これを一番最初に見て、手に取るのはケシュの役目だ。 あんなになるまで、頑張っていたのだから。 僕はがっかり半分、しかし気を持ち直し、また医者の家に駆け戻った。 「ケシュ、持って来たよ。」 僕はケシュの枕元に座り、光の洩れる箱を差し出した。 「ありがとう。テリュト、私を起こしてくれ。」 「え?でも・・・」 「良いから」 鋭い掠れた声でそう言われ、僕はびくびくしながら仕方なくケシュを起こしてあげた。 ケシュは乱れた息を整えながら、両手にしっかりと持った小箱を見つめた。 「これが、お前も見たかったんだろう?」 今まで聞いたこともないような優しくて穏やかな声でケシュは言った。でも顔は汗だくで、強張っている。 「うん。」 「なら見るが良い・・・!これが私の全てを注ぎ込んだ夢の結晶だ。」 ケシュは最後の力を振り絞るように、震える両手で箱を掲げ声を張り上げた。誇らしい顔をしている。 「しかし・・・彼らに披露できなかったのが残念だ。」 彼らとは、レリアスともう一人の友達だという魔法使いのことだろう。 「これが、私の全てだ。」 ケシュはそういい、ゆっくりと、小箱を開いた。 僕は不覚にもその眩しさに瞬きをしてしまった。でもそれは一瞬で、僕はすぐに目を開いた。 「ああっ!」 僕は思わず声を上げた。 青い空が、壁に移りこんでいた。壁だけじゃない、天井にもだ。 「すごい!空が!!」 爽やかにどこまでも続いていそうな青空は、窓から外にも少しだけ光になって漏れている。 いつの間にか、医者と医者の奥さんが部屋に来ていた。僕が大声で叫んだから、起きてしまったんだろう。 外の方にも少し人が集まって来ている。 今は深い夜なのに、この部屋の中は明るく綺麗な昼の空が広がっている。 「すごいよ!ケシュはこんなにすごいことを研究して、そして空を作ったんだ!」 僕は興奮しながら部屋中をぐるぐる見回した。 いつの間にか眩しい光は消えて、空だけが壁と天井に張り付いていた。 「すごいよケシュ!とっても綺麗だ!!」 僕は笑顔でケシュを振り向いた。 でもケシュは、僕に返事をせずに静かに、俯いているだけだった。 泣いているの?と思った。 でも、 「ケシュ?」 僕の強ばった呼び声に、医者達が弾かれたように動き出した。 それから、青い空の中、目まぐるしく人々は僕の周りを動いた。ケシュは寝息をつかずに、眠っていた。うれしそうで、優しそうで、でも少し悲しそうだけど満足げな顔をしてる。こんな顔のケシュ、初めて見た。 年のためによった小さな皺はいつもの厳しさなんてまったく見当たらず、とっても安らかだった。 僕はいつの間にかケシュの手から落ちた青空の詰まっていた、いまは空っぽの小箱を拾った。 僕はその時、動揺していたくせになんだか少し冷静でもあった。何故なのかはわからないけど、あんまり悲しみが沸いて来てくれない。みんなそうみたいだ。僕が辺りの顔を見回すと、みんな僕みたいに呆けた様な、変な顔をしている。 医者だけが必死な顔をしていたけど、すぐその表情は悲しみで曇った。助けることなんて、やっぱり無理だったからだ。 いつの間にか、窓からもケシュが作ったような青空が広がっていた。いつの間にか夜が明けてしまったんだ。 生まれて二度目に見た夜明けの青い光が目に沁みて、僕は涙が出た。 その翌日、村の小さな墓地でケシュの葬儀が行われた。 村中の人々が集まり、一生懸命青い花を探して持って来ていた。 別に誰かが決めたことではなかったけど、みんな時間をかけて青い綺麗な花を探し出し、それをケシュの寝かされた柩に入れていった。 みんな安らかな顔をしているケシュを見るのは初めてだと、目と鼻を赤くしながら言っていた。 僕は花の変わりにケシュの小屋で見つけた小さな青空の水晶のかけらをケシュの顔の横にそっと置いた。・・・涙は、いつまでも止まらなかった。 空はとっても晴れていて、青い空に白い雲がところどころ浮かんでいる。 ケシュを迎えに来たように、そよ風が一筋、空から吹いてきた。 |