v 後遺症8
#8


 セバスチャンと短いお茶の時間を終えた後、ぼくは父の執務室に向った。
 ノックの音に父の短い返事を聞き入室した先には白い峰が立ち塞がっていた。
「なに、なんで今日に限ってこんなに書類が溜まってるのさ?」
 ぼくが苦労して父が座る机に辿り着くと、そこは涙の海。父は項垂れるようにその海に突っ伏していた。
 なにさこれ、と控える補佐に目線を投げかけると、彼は疲労の陰を隠さずに渋い顔で眉間をもんだ。
「うぅぅ・・私の麗しの宝石・・・セバスチャンぅぅ・・・・・。」
 どうやらぼくと同じくした頃にセバスチャンから出発の日にちを聞いたらしい父はそのショックで腑抜けになっているらしい。
 今までやることだけはきっちりやっていた父とは思えない姿だ。
 そこまでにセバスチャンに心酔していたということなのだろうか。やはり血は争えない。
「ちょっと、この山片付けてよ」
 ぼくの言葉に父は唸るばかりでいっさら顔を上げようとしない。
 こちらに晒している旋毛を力いっぱい指で弾いてやる。
「あ痛っ」
「まさか、自分だけが寂しいなんてこと考えているわけじゃないだろうね?」
「さすがにそこまでは思わないがね、寂しいじゃないかセバスチャンが居なくなると・・・心の潤いが・・・」
「自分達が持ってきた話のクセにね。て言うかあんたはべつに美青年美少年ならなんでも心の潤いのくせに!」
「セバスチャンはオアシス、極上の甘露だーーーー!」
 うわーと立ち上がり、雄叫びを上げたような残響が部屋に響いた。

「で、リチャード。一体何の用だ?」
 くるんとこちらを振り向いた父の顔はいつもの冷静な顔。
 切り替えの速さは尊敬ものだ。
「別に。ただ少しセバスチャンが行く所のことを聞いてみようかと思っただけだよ」
「そんなこと、本人に聞けばいいだろうが。」
「セバスチャンはまだその学校に行ってないだろ!その詳細を知ってるのはあんただけじゃん」
「ふむ。」
 父は顎に手をやりじろりとぼくを見下ろした。なんとなくたくらんだ顔つきをしている。

「土地柄はいいもんだな。ここにくらべて冬の寒さはきつくはない。まあ、夏はちときついだろうがな。期間は・・・まあ、一年弱ぐらいか。もともとこの屋敷で働いていたしセバスチャンは優秀だからな。もう少し短い期間で帰ってこれるかもしれんぞ」
「そうなの」
「だが本当に寂しくなるなあ、お互いに」
 そう言ってぼくを意地悪い瞳で見つめてくる。

 なんだかんだ言っても有能な父は何もかもをお見通しなのだろう。

「ところで、リチャード。実はセバスチャンが旅立つ前に皆でドンチャン騒ぎでもしてみようかと思っているんだが」
「へえ、いい考えだね」
 にやりと笑う父に、ぼくも同じような表情で返す。ぼくだって父だって、やはり考えることは同じなのだ。特にセバスチャンの事となると。
「暫しの別れを惜しむために華々しく送り出してやろうではないか」
 ぼくらは顔を突き合わせてにんまりと笑った。

 それを遠目に見ていた父の補佐は、いつも以上に疲れた様子で大きな溜息を吐いていた。



 ぼくは父と可愛い悪巧みについて話し合った後、勢い良く部屋を飛び出した。
 廊下の足元に気をつけながら(特に落とし穴)走りぬけ、使用人頭のヨハンを目で探す。
 長く勤めているメイドのアンナを伴って歩くヨハンを見つけたぼくはにっこりと笑い、彼らを引き止めた。
「ああ、ヨハン。実は」

 ぼくの笑みを見て、ヨハンとアンナはぎくりとその表情を凍りつかせた。



 数日、ぼくはセバスチャンとあまり関わらずに過ごしていた。
 セバスチャン自身留学のための準備があったようだが、ぼくだって色々としなければならないことがあったからだ。

 父と共にコック達に事の詳細と聞かせ料理の準備をさせ、ヨハンには招待状を配らせた。
 その内容はもちろんのこと。
[セバスチャンいってらっしゃいパーティーか。]
 ヘイヂが小さな手で持った招待状を見ながら言った。
「もちろん。ただ普通に送り出すなんてつまらないだろ?」
「へえ、それは楽しみだねえ」
 いつの間にか真後ろに立っていたユーゼフが肩越しにぼくの手から招待状を持っていく。
「いきなり後ろに立たないでよ」
「さっきから居たけど君が気付かなかっただけだよ」
 ユーゼフはいつもどおり笑んで目は招待状の文面を追っている。
「無断かい?」
「もちろん。」
「しかしもうバレているかもしれないねえ、彼は聡いから。」

「いいんだよ。」

 ぼくは笑い、彼らを置いて部屋を出た。

 こうして歩き回っているうちに、数日は夜が早いような気がしてくる。気付くといつも日は沈んでいるのだ。
 パーティにはここら一体の親しいご近所の方々や、友人なども呼んでいる。もちろんのことセバスチャンと共通の知り合いであることが条件だ。
 一介の使用人が主役のパーティでも喜んで祝ってくれる気のいい人たちを厳選した。

 まあ、彼らはセバスチャンどうこうもだがただ騒ぎに来ているだけなのかもしれないけど。(そういう人たちを選んだ。)

 ぼくも、その騒がしさでセバスチャンが居なくなるのを紛らわしたいのかもしれない。



 深夜、屋敷の皆にお休みと挨拶をしてぼくはその日少し早めにベッドに横になったはずだった。
 しかし今ぼくは睡魔に見放され、寝転がったまま天井を見据えていた。

 今まで起きていたわけではない、ベッドに入った後ぼくは多分すぐに寝入りついさっきまでは夢の中に居たのだ。


 暗い、暗い狭い中。
 息苦しさに怯え、束縛された体の痛さに呻いたあの、暗い場所。

 いやに温い手はぼくを弄り硬い靴底が踏みつける。

 幼いぼくが狂ったように泣いていた。
 ぼくはそれを為す術無く見下ろして居るだけで、助けに来てくれたはずのヘイヂとユーゼフはいつまでたっても現れることが無かった。
 壊れそうなぼくを見ながら、壊れそうになりながらぼくは、小さくセバスチャンの名を呟いていた。

 おかしいね、嘗てのぼく。
 君はまだセバスチャンを知らないはずだ。
 でも無意識下で君はセバスチャンを絶対の存在だと思っているのだ。ぼくだってそう信じている。

 彼が居なくては、ぼくらは壊れてしまうんだね。

 ぼくはぼくを見下ろし、自嘲するように笑った。

   暗い部屋。
 ねえセバスチャン、早くここに来てくれよ。
 そしてぼくを起こしにくる毎朝の様にあのカーテンを開けてこの部屋を明るくしてほしいんだ。


 ふっくらとした掛け布団を押しのけ、ぼくはベッドを降りてローブを羽織った。
 毛足の長い絨毯の上を裸足で歩き、ぼくは部屋の出口へ向う。
 昼とは違いドアのきしんだ音が心臓が飛び上がるくらいに響くのに肩を震わせたが、その動悸にもかまわずにぼくは隣りの部屋に向ってゆっくりと歩いた。

 こんな時間だ。
 もう寝ているだろうと思ったが、彼の部屋のドアの隙間からはオレンジの光が漏れていた。
 まだ起きているのか、それとも小さな灯りを残したまま就寝したのだろうか。

 ぼくは小さくノックした。

 セバスチャンの部屋のドアを。



    2007.5.26
     なんだかデーが冷静だったり子供だったりとやけにアンバランスです。
     管理人の中ではこの話のデーはいろいろとトラウマやそれによるストレスなどがあるなど
     そのへんの要素で態度に差が出てきているのですよ!とかかっこいい説明してみたい(何)
     まあ、ぶっちゃけ管理人がデーの性質をちゃんとに把握しきれてないんですね
     どーせうすっぺらさ!(自虐)


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