#6


 屋敷に帰ると、すでに連絡が行っていたのか使用人が数人入り口でぼく達を待っていた。
 皆心配そうにセバスチャンに運ばれるぼくを見つめ(ついでに飾り立てられたセバスチャンを頬を染めながら見つめ)、そしてぼくは急ぎ私室の寝台の上に寝かされた。

 一番落ち着ける自分の部屋に戻ってきたことでぼくの緊張も何とか収まり、深く深く深呼吸をした。

 清潔な石鹸の匂いにふっと休まる。

「運んでくれてありがとう、セバスチャン」
 ぼくはベッドの横に控えているセバスチャンを見つめた。
 あの騒ぎのせいで着替えることが出来なかったため、セバスチャンはまだ濃紺のスーツを着たままだった。
「そんな格好をしてると、なんだか王子様みたいだね。」
 ぼくの言葉に、セバスチャンはむっとしたように眉をひそめたが何も言わず、溜息をついた。
「そんなことが言える元気があれば少しの間離れてても大丈夫ですね」
 また、セバスチャンの目がごおっと燃えたような気がした。
「え・・っ?」
「この格好は俺の身分には不相応ですから、着替えてきます」
「・・・・・・!っと待ったーーーーー!!!」
 ぐわしっ!とセバスチャンの服の袖を掴んだ。
「・・・・放してくださいませんか」
「やだよ。放したら着替えるんでしょ?せっかくかっこいいのに勿体無い!!!」
「まったく・・」
 やれやれとセバスチャンは首を振りそれでも踵を返してベッドから離れていこうとする。
「・・・・・」
 ぼくは扉を押し開けて出て行くセバスチャンの背中を見るのが嫌で、すぐに目を逸らして布団にもぐって背を向けた。
 ふわりとした布団の柔らかな感触、ちりちり緊張した神経を和らげてくれる。
 視界の外で、がたっと音がしてぼくはぎゅっと目を閉じた。きっとセバスチャンがドアを開けた音なんだろう。
「貴方には、なぜか逆らえませんね」
 優しい声が耳朶に触れた。

 自分自身気付かない間にぼくは涙を流していた。息が詰まるのか息を吸うたびに肩が揺れていた。その背に、大きな柔らかな手が触れた。
「過去に貴方が巻き込まれた事件の話しを旦那様から窺いました。」
「過去・・・・なんだけどね」

「ずっと、前のことなのに。今だって忘れていることの方が多いよ。でも、手が。」
「手、ですか。」

「貴方は、俺の手も怖いですか」
 言葉と共に、ぬくもりが背後からぼくの頬を包んだ。
「泣いていたんですね。」
 濡れた感触にセバスチャンは言い、ゆっくりとそれを拭ってくれた。
「そうやって、泣いていたんですね」
「そうだよ。悪いかい?」
「そんなことはありません。しかし・・・隠れるように泣くのはよしてください」
「隠れてなんかない」
「現に今貴方はそうやって顔を隠している」
 ほんの少しセバスチャンの手に力が加わり、ぼくはそれに逆らわずセバスちゃんのほうに向き直る。いつもと同じ表情のあまり変わらないセバスチャンの顔が見えた。
 声はけっこう柔らかいのに、表情はなんて素っ気無いんだろう。
 でも、それでもぼくは。ぼくを労わってくれているセバスチャンの心を知った。
「セバスチャン、ぼくの泣き顔見たんだから、セバスチャンもぼくになんか見せてよ。」
「何か?」
「んー」

 ぼくは一瞬考えた後、ぐいっと身を乗り出した。

「リチャード様・・!?」

 微かな驚愕の声をセバスチャンが上げる。

 ぼくはセバスチャンの肩に手をかけ、その頬に軽く口づけた。唇から感じるすべすべの頬が気持ちいい。
 ぼくはすかさずセバスチャンのその表情を真正面から見る。

 いつもは細められるだけの深い青の瞳が、今は驚きに見開かれていた。
 口が何か言いたげに少し開き、驚きに固まるというなんとも珍しいセバスチャンの姿を見ることが出来た。

「な、なにを・・・」

「やった。セバスチャンの吃驚した顔を見れた。」
「・・・・・・・」
 じろりと睨まれたが気にしない。
 こんなことをしてしまうなんて、先程の動揺の反動でぼくはナチュラルハイにでもなっているんだろうか?
「それに、名前を呼んでくれてありがとう」

「あの時、ぼくの名前を呼んでくれてありがとう。」

 ぼくは彼の手を握った。

 暗い闇を思い出し、自分自身を雁字搦めにしてしまったあの時。
 ぼくは、セバスチャンの声で呼ばれた自分の名を聞いたとき、確かに微かな安堵を感じたのだ。
 兆しが見えた。光が確かに見えたんだ。

 ゆっくりとセバスチャンにもたれかかり、肩に顔を埋めてやった。
 動揺が薄れたのかセバスチャンはもうなんの驚きも見せずにそれをするりと受け止めてくれた。彼からの拒絶が無いことがこんなにも嬉しいとは。

 きっと、セバスチャンはぼくの掛け替えの無い特別になる。
 包み込んでくれる温もりを感じながら、ぼくはそんな確かな予感を感じていた。
 きっと今よりも、特別になる。


 ぼくも、君の特別になれれば良い・・・



    2007.5.18
     珍しく甘い雰囲気。やっとこさセバデーぽくなってきました。
     幼少編はここで終わりで、次からはぐいっと年月が過ぎてからのスタートになります。
     ああ、さらば子デーデマンと少年セバスチャン・・・(父化)


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