epilogue


セバスチャンのいないこの日々は酷く退屈だ。
まるで禁断症状のようにあの瞳を覗き込みたくて仕方がない、変な発作がやってくることがある。

ぼくはとにかく物に当たるしかない。
あまりの酷さに使用人に後片付けを命じられることも少なくない。
なるで親のように、姉や兄のようにぼくを育み世話をしてくれた彼らに逆らうことは出来ない。


ぼくはセバスチャンに好意を持っている。
それは誰かから見れば曖昧、しかしぼくはそれを力いっぱい恋だ、何からもかけ離れた唯一の愛なんだと断言出来る。
そしてセバスチャンも、ぼくと質の違いはあれどぼくのことを想ってくれている。
吐露した心はお互いを雁字搦めにしている。
精神的なこの甘やかな束縛はぼくらを通わせはしても苦しめることはない。

しかし、これはなんだ。
ぼくはぺらりとしたしかしシンプルだが高級感のある白い紙を睨み付けた。

飾り気の無い言葉だ。
時たま送られてくるこの手紙は、飽く迄近況の知らせであり、ぼくに優しく語り掛けてくれるようなものではない。
セバスチャンは・・・・こんなことでどうやって他人と付き合ってきたんだ。
そうイライラと考え、ほんの少しの自己嫌悪を感じた。

セバスチャンの嘗て。
それは確かにとても気になるものだけど、しかしセバスチャンが誰かと楽しそうに向き合っていたり、甘い言葉を囁くのかと思うと信じられないほどの悔しさを、胸の痛さを感じる。

ぼくはなんて愚かなんだろう。

ぼくから彼へ送る手紙も、当たり障りのない。
しかし、セバスチャンに対する気持ちを素直に綴ることを心がけた。
離れるこの時間は、なんて苦痛なんだろう。



訪れた朝をぼくは久々に爽やかに迎えた。
わくわくしながら身繕いも済ませずに裸足でベッドから飛び降りぺたぺた足音を立てながら玄関に走った。
全力疾走で駆けて辿り着いた玄関ホールに・・・・見知った姿が見えた。

それは・・・・










「ゲゼル・・・・・・!!!!!?」
ぼくの奇声に、こちらを振り向いた男がひらひらと手を振った。
「よお、坊ちゃん。あんまりでっかくなってないなー」
腹立たしい言葉はなんとか無視し、ぼくは驚きを隠さずに彼に近寄った。
「何で君がここにいるの!?っていうか無事だったんだ!?」
「あんな炎に負けるほどやわな男じゃないぜー?」
にやりと笑い、ゲゼルはぽんっとぼくの頭に手を載せる。
うわ、むかつく。
「で?」
頭を振って手を払い、ぼくはゲゼルを見上げた。
「お前達が出て行った後、もちろん俺もすぐにあの屋敷から脱出したんだ。・・・・一応ジルベールもつれてな。」

ジルベール。

ぼくを、と言うよりもデーデマンを憎んでいた貴族崩れの男。
気高い血を持ちながら、しかし落ちぶれ奇行の犯罪に走った男だった。
「あいつが今何をやっているのかは知らない。あの後、まあ色々とあったが、すこし顔を合わせた後決別したんだ。もう、会わないだろうな」
「そう。彼これからどうするんだろうね・・・。ジルベールが普通の一般的な生活をしていくとは思えない・・・。それにそれなりの才もある。また名を聞くこともあるかもしれないね・・・」
先ほどと違い、一気に沈んだ気分でぼくは視線を下げた。
「・・・・嫌だな。名を聞くことも嫌だ。」
「安心しろよ、坊ちゃんにはあの男が付いてるだろ?あいつはそうそう坊ちゃんを危険に陥れるようなことはしない。もちろん、俺もだ」
得意げなゲゼルの言葉に、ぼくははて?と首を捻る。
「どういうことさ・・?」
「俺、坊ちゃんを陰ながらガードする人間として雇われたんだよ」

へ?

ぽかんと見上げるぼくを、ゲゼルはしてやったりと笑い見下ろしていた。

「雇われたって・・・?」
「まさかあんな土地で会うとは思わなかったぜ。あの男が坊ちゃんから離れるとは思わなかったからな。」
「一体、何の話を・・・」

言いかけるぼくを遮るように、ゲゼルの背後・・・玄関のドアの外からこつこつと硬質の足音が聞こえてきた。
「騒がしいな・・・」
低い声が、懐かしい響きがぼくの耳に届いた。
ドアから差し込む朝日を受け、姿を現した長身の姿。
逞しい、しかし引締まった体を黒いスーツで包み、姿勢良くこちらへやってくる。
ちらちら目にかかる黒髪の合間、深い海中のようなブルーの鋭い眼差しがぼくを見つめた。
「セバスチャン・・・」
写真ではない、久しぶりに見つめたセバスチャンは何故かと悩ませるほどその面差しは高貴で、冷えた美貌はあのころより迫力を増していた。
「ただいま戻りました。」
静かなその声は言い、微かに笑う。
「お、おかえり。」

視線が合う、何を考えているのか悟らせない、洗練された瞳をぼくが見つめ、セバスチャンもぼくから目をはなさず黙って見つめていた。

「あー、君達。」
コホン、と咳を一つ。
「時を忘れて見つめあい〜はせめて部屋に入ってからにしない?」
茶々を入れたゲゼルの声にはと惚けていた意識が正常に戻る。
「そうだった、何でゲゼルが?」
「ああ、」
そうだった、と言うようにセバスチャンが呟き、ちらりとゲゼルを見た。
「彼とは、まあ分かると思いますが留学中に再会しました。噂は聞こえてきていたんですが。まさか顔を合わせることになるとは予想外でしたよ」
「どうせろくな噂じゃなかったんだろ?」
「ええ。しかし、腕は確かだと知っている。」
セバスチャンの言葉にゲゼルが「どうも〜」と手を振る。
「過去が過去だ。表沙汰にすることは出来ないが、こちらに引き入れておけば敵になることもない。甘い汁を吸わせてやるんだ。存分に働いてもらおう。」
最後は明らかにゲゼルに向けて言っていた。
ゲゼルは苦笑いし、くるりと背を向ける。
「俺は表沙汰NGだからね。」
そう言ってドアをくぐる。
飄々とした後姿。
その姿から彼がどこまで裏に浸透しているのか、それを全く窺わせない。
その背中を見て、僕は言った。
「表沙汰NGのクセに、表玄関から出て行くんだね。」


「ところで。」
二人でゲゼルの姿を見送った後、セバスチャンがぼくを見つめて言った。
「その姿は、いったいなんですか?」
「・・・・え?」
剣呑に光りだした瞳が眇められ、深い青がぼくを射た。
その瞬間、ぼくの真横を黒い影が凄まじい速さでよぎり、足元の床に鋭い音を立ててぶち当たった。
セバスチャンは片手に撓る黒い鞭を持ち、ぼくを見下ろした。
「時期当主ともあろう貴方が、いまだ寝巻きのままで私室の外に出るとはどういうことだ?」
「・・・え、えーと」
動揺による硬直か、ぼくはぎくしゃくとセバスチャンを見上げた。
逃げた方がいいのだろうか、そうちらりと考えたが鞭を構えるセバスチャンにまったく隙がなく、動いた瞬間にヤラレル!と本能が訴える。
「セ、セバスチャン?」
「なんでしょう?」
飽く迄口上は穏やかだ。
しかし冷えた青が恐ろしく輝きぼくを見る。
「き、君。たしか執事学校に行ってたんだよね?」

ぼくの質問に、セバスチャンはにこやかに笑み。
「ええ、もちろん。貴方の為が故に。」



   2007.7.4 了
     後遺症完結です。
     5月5日に連載開始し、約というより誤差一日の二ヶ月間の連載でした。
     今は無事完結することができ、ほっと息を吐いているところです。
     色々と悔いを残しているところもあります。
     書きたいことを書ききれず、そこらへんが悔しいですね。
     二つほど考えていたエピソードを盛り込むことが出来ませんでした。
     そのうち、また違うものとして書こうと考えています。
     2ヶ月間とはいえ、色々頭を悩ませ、暇があると物語を練っていた後遺症はやはり思い入れの強い作品です。
     そんな風に考えていると、やはり新しいネタが・・・もちろん浮かんでしまいます(笑)
     少なくとも1つ考えているものがあるので、そのうち日の目を見ることがあると思います。

     二ヶ月間、後遺症を楽しんでいただけたでしょうか、いろいろ好き放題やってしまいましたが、
     時々頂くお言葉に励まされここまで書き上げることができました。
     ありがとうございます。
     それでは、ここまでお付き合いありがとうございました。


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