#12


 ぼくははっと、目を強く瞑った。
 投げられた花瓶はジルベールの手元が狂ったのかぼくの足元すれすれに叩き付けられ、たくさんの破片になり砕け散った。





 大きな物音に、セバスチャンは伏せていた目線をその方向に顔ごと振り向いた。
 リチャードと引き離された後、男に連れられてきた部屋は屋敷にそぐわぬ質素な造りの部屋だった。
 相変わらず光源は乏しく、男がライターで蝋燭に灯したいくつかの光が唯一とも言える物だった。

「心配か?」
 椅子に腰掛けた男がセバスチャンにからかう様に語り掛ける。
「あんまり心配はないと思いたいがな。しかしあの坊ちゃんは口が達者なようだからなあ。もしかしたら怒らせてしまうかもしれないなあ」
 のんびりした口調はあまりにもこの場にそぐわないのではないか。

「なにが目的なんだ。」
 冷えた声が響いた。
 黒い前髪から覗く瞳は酷く冷ややかで、凍えるような青に瞬いている。それを見て男はにっこりと笑った。
「俺の目的はお金!」
 いっそ清々しいほどの笑顔で、男は胸を張って答えて見せた。
「今の俺は、金でしか動かないよ。今のところはね。」
「金・・・・か。」
「まあ、あのご主人様はただの逆恨みの復讐心。八つ当たりで今回の事を起こしたんだろうけど」
 セバスチャンがまだ見ぬ黒幕。
 今自分の歳若い華奢な主人はその人物と一対一で対峙しているのか。
「おい、あの部屋にいたのは・・」
「ご主人様一人だけだぜ?」
 セバスチャンの問いを先回りして男が答える。
 明らかに有能であるこの男が、なぜこんな馬鹿げた誘拐に手を貸したのか。やはり、金か。
「この屋敷にいるのはご主人様と坊ちゃんお前と俺。」
「やけに少ないな。使用人など世話をする人間がいないのか?」
 訝しげにセバスチャンが答え、男はにいっと笑った。

「ここにいるのは、亡霊だけさ。なんの世話が必要だと?」

「亡霊?」
 セバスチャンは肩眉を上げ不審げに男を見つめた。
「そうさ、過去に固執し、憎しみに固執し、幸せに固執し、勝利に固執する。ただ後は朽ちるだけの過去の栄光に固執する男なんだよ、あいつは。」
 男は飄々と話し、しかし何か翳りを含んだ目でセバスチャンを見つめた。
「恋人なんて、本当は二の次なんだ。あの男は自分自身が一体何に固執しているのかもきっと理解なんてしていないんだろう。ただ執念だけしか残っていない。だから・・・」

「亡霊なのか」

 セバスチャンが呟く。
 男は頷き細めた瞳でセバスチャンを見つめた。

「お前だってあの男に固執しているだろう。」
「・・・・・。」
「的外れな復讐に盲目的に夢中になっている男はたしかにもう朽ちるだけだ、これから先などがあるはずもない。あの男に付いていてはお前こそ危ういだろうに、なぜだ?金だけの問題ではないだろう。」
 かち合う視線からは何も掬い取ることは出来ない。
 しんとした空間に、朗々とセバスチャンが語る声が響いた。
「そうだ。」
 男が嗤う。

「金だけじゃないさ。いや、確かに金だってほしいけどね。それだけじゃない。」
「何があるんだ」
「俺とあいつには、血の絆があるんだ。」
 男の言葉に一瞬小さな驚きに身を硬くする。
「兄弟なのか・・・?」
「いいや。俺とあいつには血のつながりは無い」
 首を振って男が言う。
 驚きに表情をくずしたセバスチャンに、してやったりと笑って見せた。
「俺と血が繋がっていたのは、あいつの恋人だ。俺の妹は、あいつと愛し合っていたんだ。」
「その妹に口添えされたのか」
「いいや。」

「妹、ローゼは何も知らずに苦しみながら死んでいったさ。兄を二人残してな」
「二人・・・・しかしお前達は・・・」
 幾分考えるようにセバスチャンは呟き、男を見上げた。
「ローゼはジルベールの妹でもある。ローゼは俺の義父兄妹で、ローゼはジルベールと義母兄妹だ。」


「ローゼが俺たちを結ぶ絆なんだよ。あいつはそれを知らないけどな」
 ふっと笑い、男は扉に向かいセバスチャンに背を向けた。
 刻まれた笑みが消えてはいないだろうとセバスチャンは思い、この男の存在に慣れてきた自分におかしな感情を覚えた。
「お前もデーデマンが憎かったのか」
「まあ、少しはな。でもなあ、あの坊ちゃんを見ているとそれも馬鹿らしく思えてきたな。」
 声の響きは変わらない。
「あんなちびっこい坊ちゃんいじめるのも、大人げないよな。だいたい、あの子を憎むのもお門違いだろ。あいつは気付いていないけど」
 溌剌とした言葉は止まることが無い。
「さあて、坊ちゃん救出に行くかねえ?ここで助ければ坊ちゃんの俺のお株も上がるだろう」
「無理だろ」

 扉を開け廊下に飛び出した男の背を追って、セバスチャンは男に名を尋ねた。

「ゲゼルだぜ。」

 一言名乗ると、ゲゼルはにかっとまた笑い口をつぐんだ。





 それは四方八方に飛んだらしく、ぼくの服を傷つけそして柔らかい皮膚をも破った。
 勢い良く飛んだいくつかは顔まで届き、頬や額、米神にも大小と傷を負わせた。

 瞼を下ろした瞬間に、感じる闇にぼくは囚われた気がした。
 傷を負ったことに対しても微かなショックが波紋となり体を一層震わす。

「ふっ・・」
 嗚咽が漏れそうになり、とっさに唇を噛み締めた。
 声を出したところでそれは言葉にはなりはしないだろうし、そんな無様なところを見せたところでこの男を喜ばせてやるだけだ。
「ああ、震えているのかね?」
 ジルベールは喉で笑いながら言い、愉快そうに息を吐いた。
「こんな子供が、いずれこの世界を制するかもしれないのか。」
「・・・・・」
 ぱきんっと破片が踏まれる。
 だんだんと近づくジルベールの気配にぼくは息を呑み、こみ上げるものを耐えた。
「こんなに酷く震えて、恐怖に耐えることも出来ない小さな無力な子供が。」
 目の前に立ち塞がった陰にぼくは伏せていた頭と瞼をゆっくりと押し上げた。
 暗い部屋の中、背後の明かりにゆらゆら照らされたゆったりと肩で結えた美しい金髪がチラチラ輝いていた。
 造作の美しい貌がぼくを見下ろし、酷薄な瞳が暗く光っていた。
 輝かしい外見に覆われ隠された、冷酷で卑しい内面を目が語る。

 ぼくと目線が合い、ジルベールは気分を害したように表情を消した。
「おや、その目はなんだい?怯えていれば良い。それが君にはとてもお似合いだというのに。」
 卑下した嗤いは耐えないのか、蔑む目が未だ耐え切れない哄笑を見せる。
「知っているよ。」
「何をさ?」
 思わず答えたぼくを見て、ジルベールは思わずなんとも楽しそうに笑った。
「過去の事件、調べさせてもらったよ。誘拐事件だったかな?」
 そう言ってジルベールはより一層楽しそうに笑い、ぼくの顔を顎を掴んでぐいと上に向かせた。
「君は、誘拐犯に数日捕らえられていた間、虐待を受けていた。だろう?」
 くっと喉が詰まる。
「言わないで」

「君の身に起こったことだ。覚えているだろう?」


 耳の奥で鼓動が騒ぎ立てる。
 ジルベールの残酷な目を見上げていると、あのときの男の目を思い起こさせる。
 残忍で、そして我を忘れた狂った目。
 暗い部屋でそれは爛々と瞬きぼくを射て、振るい上げた手はぼくを打つために下ろされる。

 翳った理性が既視感に苦しめられる。
 喉がまるできゅうきゅう絞まり、息が出来ない。酸素が回らないからなのか、まともなことが考えられない。
 ただ漠然とした恐怖だ。

 緊張に無理やり上を向かされた首の筋肉がぎしぎし軋む音を立てる。
 体のうちから響く動揺による騒々しい音に混じり、なにか遠くから駆けて来る音がする。
 近づく音は、ぼくを一層突き落とす悪魔の足音か。

「暴力も、」

 近づく足並みに意識が遠退きそうになる。

「やめろ」
 弱々しい声にジルベールが愉悦に笑み。

 扉の取手が軋んだ音を立てながら回る。

 ジルベールはぼくの動揺がお気に召したのか楽しそうに目を細め顎にかけていた手を首筋に流す。
 感触にぼくは震え、ジルベールはより一層笑む。

「性的にも・・・ね。」

「誰から・・・・・・聞いたんだ・・・」
 ぼくは強ばる体を叱咤し、まるでぎこちない舌で絞り出した声で尋ねた。

 視界の外、開け放たれたドアが音を立てて壁に勢い良く当たった。
 その扉を力任せに押し開けた本人、セバスチャンは背後に暗雲を背負い、その美しい顔に静かな怒りを浮かべていた。


    2007.6.17
     なんとなく、ゲゼルはジルベールに厳しい。
     そこがイイ!思わず太字(笑)
     実はローゼは最初生きてる設定でした。
     セバスチャンとゲゼルの会話シーンで登場したところを書いたんです。
     が、なんかこんがらがるなあと没。(汗)

     やっぱりデーの貞操は・・・!エーン。°(°´Д`°)°。←白々しいな、おい・・・


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