シリスの瞳は、きっと海を進むうちにその青が写ったのだ。
金茶の睫毛に縁取られた青い瞳は晴れ晴れとした空の下、海。海底の差し込む光を待つその青。
穏やかに笑む彼は凪ぐ海のようだ。
静かなその顔の下、強かに船を揺さぶる波を持つ彼は強風を上手く掻い潜り、冷静に戦場を見つめていた。
テッドはシリスの隣に立ち、横目でシリスを見つめた。
ほんの少しシリスの方が背が高い。そのことに微かな嫉妬を覚えながら、自分の矮小さが彼を包めない原因の一つなのではないかと考える。
彼は強かだ。
折れそうな背中を時々は見せ、崩れ落ちそうな感情に揺さぶられることもあるだろう彼はそれでも背筋を真っすぐに、いつでも先を見据えるのだ。
その強さが、時々畏怖を感じさせる。それと同時に、希望を。
暗黒に塗り固められた煉獄を脱することを決意したのは彼の言葉があったからだ。
従い逃げ、呪いを避けて時さえ崩された暗黒の砦。翳む様に海を往く崩れたあの船から、青い日の光に輝く海に飛び出した。
触れた手に拒否を示したが、彼はやはり笑ったのだ。
しかし。
状況は過酷だ。
戦場と化した海は赤い後光を孕んだ柱に光を一瞬失い、人々は船の上、または海を臨む地上から驚愕を張り付かせた顔でそれを見上げていた。
「シリス・・・」
「テッド。」
シリスはテッドの肩を右手で掴み、力なくその身を寄せた。
緩い拘束はテッドには容易に解けるだろうが、テッドはそうはしなかった。
窮みを超えた掠れた痛々しい息遣いを近くに感じ、テッドは前髪に瞳を隠したシリスの顔を見つめた。
微かな切り傷が痛々しく血を滲ませ、紋章魔法による回復の追いつかない満身創痍の体が力を失っていくのを触れた箇所から感じた。
右手が、悦ぶ様に疼く。
「駄目だ・・・」
「テッド・・」
「駄目だ・・!」
込みあがるものを飲み下し、必死の反抗を口ずさむ。
「お前を喰ってなどやるものかっ」
怒号と悲鳴が響く中。
この轟々と騒がしい戦場で、彼が微かに笑った瞬間全ての音が消えたような気がした。
それは一瞬か・・・・それとも・・
彼の左手が粉末状に解けるのを見た気がした。
「僕も、君の血潮骨肉になるのはごめんだよ」
血生臭い戦場には不似合いなその声色。
晴れた瞳を見た。
「僕は海に帰るんだよ。罰は君にやれない」
赤い空。
荒れる黒い海。
叫ぶ人々、荒れる人並み。
波は甲板を濡らす血を拭い海を汚していく。
その赤さえも、底の青には届かぬことを願う。
「シリスっ!テッド!!」
彼らを呼ぶ怒号が聞こえたが、二人は動かなかった。
荒れる波に巨船は必要以上に人々を揺らめかし、その振動に立っていることも敵わぬほどだ。
しかし、彼らの注目の先シリスとテッドは二人なにか人々とは違う場所にいるように真っすぐにそこに立ち尽くしていた。
「君に閉じ込められるのは、とても誘惑的なものだけどね。」
シリスが告げた瞬間、最大の波が船を襲った。
彼らは、加護を失ったのか、その大きな揺れにシリスは身を海に投げ出すほどに揺さぶられその足が縺れる。
シリスは抗わない。
海に、あの青に帰ることは、彼が今一番に望んでいることなのだろう。
だけれど。
「ふざけるなよ!」
疼く右手で、粒子に解けるシリスの左手を世界に留める様に掴みかかる。不思議な、さらさらに乾いた砂漠に手を埋めたような感触がしたが左手は元の彼の形を取り戻した。
「お前を逃がしてなどやるもんか!!」
引き寄せても、結果は同じだと誰もが知っている。
投げ出された瞬間の衝撃に、二人は意識を失った。
しかし、無意識下で波にもまれるその感触に。潮に体を優しく慈しむように撫でられるその感触を覚えていて。
苦しくはない不思議な浮遊感。続かぬ息など気にしない。
海底にどれだけ近いのだろうか。
下には光を待つ翳る青が欲するように上へ上へ。そして照らされ明るく解ける青。
光の線が柔らかく射し、シリスとテッドを揺らすように照らし出した。
明るい方を見上げるとやわらかにゆらゆら光を孕む海面がはるか遠くに見えるような気がして、テッドは穏やかなこの時に溜息をつきたくなった。
隣りを漂うシリスをいまだ右手はしっかりと握っていた。
しっかりと感じる彼の左手に安堵し、テッドはそちらを振り向いた。
シリスはしっかりとそのその瞳で見据えていた。
金に縁取られたこの海水色の硝子水晶の清潔な光を孕むまあるい瞳。
見つめている、
海水水晶硝子の瞳 こ の 瞳
2007.5.23 了
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