こつこつと音がする。

   爆ぜる音。
 意識が深く深く沈み込むのが分かった。
 微かに落ち、そして微かに浮く。そんな感覚を味わいながら、微かな甘い温もりを感じた。

 こつこつ。こつこつ。
 音がする。
 それは今ゆっくりと沈む音で、そして微かなノックの音。

 爆ぜる音。



「まだ寝ているのか?」
 少年の声が聞こえた。
 変声期は終えているがまだ少し高く耳に甘い声。
 微かに笑いを含んだその声はその後にまた一言二言呟いて、そして呆れたように溜息を吐いた。
 その声を聞くと心が躍る。瞑った瞼の裏側にまで柔らかな日が灯ったようで、豊かな感情を感じた。
 この声の主を愛しているのか、そして愛されているのか。
 優しい感触を、額と、頬と、唇と手の甲と指先に感じた。
「早く起きろよ、スタン」

 目を覚ました時、辺りは闇の中だった。
 微かな焚き火が時々小さな火花を爆ぜ、姿を照らし出していた。
「起きたか?」
「あ、うん」
 スタンは瞬きを繰り返した後、隣りに座る美しい容貌をした少年リオンに微笑む。
「悪い、寝すぎたか?」
 見張りの交代をするはずだったのに。
 スタンの呟きにリオンは苦笑いをして首を振る。
「いや、気にするな」
 少し硬さの残る表情。しかし初対面のころの冷徹とした冷たい美貌と比べるとそれは温かさをかすかに感じる。
 リオンの笑みはいくらか親しいスタンにしてみても希少なものだ。
 スタンはかすかに笑い、リオンの艶やかな黒髪を優しく撫でた。
「リオンも休めよ。今度は俺が起きてるからさ。」
「いや・・・」
「寝ろってば!お前疲れてるだろ!」
 言いかけるリオンを遮りスタンはその胸を押す。鍛えられているとはいえ、薄い胸だ。その薄さに、かすかな弱さを含んだ胸中を感じる。
「休めってば。お前、疲れてる顔してるぞ。」
 顔をしかめるリオンを見下ろす。スタンによって半強制的に寝転がっているリオンの顔は赤い炎に照らされていてもその顔色の悪さは隠せてはいなかった。
「決まった時間になったらいつもちゃんとに起こせって言ってるだろ?」
 少しつりあがった紫の美しい瞳が強い視線でスタンを見上げる。かすかに爆ぜる炎でちらちら光り、気丈なリオンの性格を現しているようだ。
「俺、嫌だよ。お前がそんな元気ない顔してるのは。」
「なら、スタン」
「ん?」
「一緒に寝るか?」
 リオンは言うと同時に自分の横に垂れていた金髪をぐいとひっぱた。手入れもろくにされず惰性だけで伸ばされたような髪の毛先はごわごわとしている。
「あだっ」
 ゴツンと頭をぶつけながらスタンはリオンの真横に仰向けに転がった。
「どうだ?」
「ば、バカ。」
「俺たち二人とも寝ちゃったら、モンスターに襲われたときどーすんだよ!?」
「いい。」
「へ?」

 小さな呟きと同時にリオンは起き上がり、自分の横にまだ寝転がっているスタンを見下ろした。
「それでもいいと言ったら、お前はどうする?」
 静かなその物言いが一瞬スタンの思考を止める。見下ろす紫の瞳はあまりにも純粋にスタンを見つめている。冗談を言っている風ではない。
「リオン、お前本気で・・」
「このまま、」
「リオン」

 目の前がかげる。
「リオン」
 吐息が耳のすぐそばで聞こえた。
 スタンよりも小さな体がスタンを覆うように抱き、黒いさらさらの髪がスタンの頬をくすぐった。
「スタン。今だけ、お前を選ばせろ」
「無理だろ、リオン」
 顔を上げた少年を至近距離から見つめた。ついさっきまでは火を灯していたような瞳は、翳ったせいか戸惑いや揺らぎを感じさせた。
 紫の瞳にスタンが写りこむのが見える。
 硬い地に金の髪が四方八方に散らばり炎にチラチラ輝いていた。
「今だけだ」
「どんな時でも、お前は俺を選んじゃいけない。」
 白い手がスタンの頬を包んだ。ゆっくりと鼻をふれあい、唇も。二人とも瞳は開いたままお互いを睨み付ける様にしながらの抱擁。  ゆっくりと深め合うものは何よりも不確かだ。
 心を通じ合い通わせあってもいつかはお互いお互い以外のものを選び剣を向け合い背を向け合う。
 通じ合ったからこそ、スタンはリオンが秘める暗闇にもその心を占める氷の結晶に気付き、それを雫にかえたい衝動にあらがっている。リオンもスタンの胸中を知っているからこそ、触れてしまうのだ。
 嘗めあげる柔らかな唇。
 撫でる手。
「リオン。」
 ささやく声を耳に、脳裏に。

「俺たちはまだ死ぬわけにはいかないだろ?」



 夜の下、ゆっくりと身を起こした。
 手を突いたと同時にかさりと音を立てた葉の音は勘違いだったようだ。スタンは宿屋の一室のベッドに腰掛けていた。

 過去、彷徨った森で。
 曝け出された衝動を浮き彫りにし得たものはなんだったのだろうか。
 お互いの虚栄を熔かした熱はとうに失くした。
 蕩け出したような睦言は睦言でしかなく現実にはあらがうすべはなかった。あの時間があったからこそ、スタンとリオンはお互い背を向け合い、瞳を逸らし合い、いつわりに目を向けたのか。

 選ぶなと。
 あの時発した言葉に嘘はひとつも無かったはずだが、その実血を吐くほどの苦しみを感じた。
 なのに甘美な温もりにあらがえなかった。

   リオン。愛した女性を選び、スタンたちに剣を向けた小さな戦士。

 運命にあらがうことはできないと、わかっていた。
 リオンの奥底に潜む氷の結晶を、暖め雫に変えたところで、滴り落ちたその瞬間にその雫が冷えて転がることをスタンは知っていた。
 幾粒の結晶が小さく音を立てて踏み潰されていく様も、スタンの目にはありありと映っていた。
 しかし。
 それを融かすわけにもいかなかったのだ。数え切れない結晶が水に変わった時、強かな少年が溺れてしまう事に怯えた。

 夜の下、曝け出された言葉達に、暖かさと冷たさに怯えた。あの時。

 孤高な月を見上げ思ったのだ。
 愛してるからか。
 その背を押したのは、愛しているから。

 悲劇に通じようとも、身を切るほどの苦痛を感じようとも。

 いつわりを選ばせなかった。


        おわり


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