四章 心の岸辺へ


 残像がちらつく視界に苛々する。
 金色の、光のようなものが、自分の周りをひらひら踊る。
 ここはどこか?と思う前にその金にうっとりと見とれてしまった。

 少年は何もない場所に居た。
 白いのか、黒いのか、色なんて分からない。
 色彩なんていう言葉は、まるで役に立たない出来損ないな空間だ。
 ただ、時々ちらちら横切るその光にひどく、まるで狂おしいと言うほどに惹かれていた。
 何もない場所なのに、自分と言う存在もまるで不可思議で、感覚がおぼつかない。
 考えてみれば過去と言うものを自分は持っていない。そして感情さえも。

 ただ、何かを強く望むその思考だけが今の自分を突き動かしているのではないかと少年は思った。
 何を望む?
 それさえも分からずに、何を望んでいるのか知ることを望もうと、それはひどく馬鹿らしく悪循環としか言いようのないものだ。
 何を望む?
 ただ、その光に触れることを望みたかった。
 触れたい、自分の内に閉じ込めるように縋りつき、舐め、歯で噛み砕き喉から胃へと流し込み、だんだんと体に取り込んでしまいたい。
 今、あやふやなままの自分と言う存在の全てに確信を得るよりも、それが欲しい。
 焦がれる。
 名前さえ知らない、いや、思い出せない。
 きらきら光るそれは人なのだろうか?
 ただ、そうだ、これだけは言える。
「僕は、」
 声が何処までも広がる。広いその空間は果てがないのか、反響することもなく声を運んだ。
 この声が、何処までも響けばいい。そして、ちらちら光るそれに届けばいい。
 そして気付け。
「愛している。」
 僕はここにいるということを、僕と言う存在を。
「お前を、」
 だからそれまで、

「スタン、お前を愛しているんだ。」

 涙を流しながら言い続けてやる。
 足掻いてやる。

 自分が誰かも分からない。
 ここにいる意味さえも理解できない。
 ただ、ここから出るのには、お前が必要だ。
 呼べ、僕の名を。
 僕と言う存在を、お前が悟れ。そして構築し掴み取れ。

 それができるのはお前だけだ。
 僕と言う存在は今、お前しかない。
 それしか分からない。何も見えないし聞こえないし感じることなんてできるはずがない。
 お前は命だ。五感だ。僕の心臓で、脳だ。
 今お前は僕の全てを司る者だ。

 手を、触れろ。

















  本当に、触れてもいい?

 重なり合わせた手のひらは、じとりとした熱をはらんだ。
 しっとりとした手は汗ばむようで、それが余計彼の生を間近に感じさせる。
 重ね合わせた全てから、存在が作り出されていくような気がする。

 手が重なる。
 白く、しかし少し骨ばった細い五本の指と、たおやかで形の良いすっと伸びた白い柔らかそうな指が絡まる。
 一つは広く薄く、一つは艶やかで小さく。二つの掌が重ねあう。
 相互に、華奢な腕が伸び、たおやかで白い腕が伸び。

   二人の、人になる。

 さらりとした、金の髪が流れた。
 肩に触れ、背を撫でた。
 白く、淡白な美貌の造りをしたその顔の瞳は、蒼。

 艶やかな闇色の髪が白い耳に触れ、白い頬をくすぐる。
 左の耳だけにつけられた金細工の飾りが左の頬に触れ、それは冷やりとした感触だったが、なぜかそれが自分と言う存在を引き立たせ。確信を抱かせる。
 紫の瞳を見開き、自分に向かい合う彼を良く見ようとした。
 彼は、笑った。
 青い瞳を細め、口元は笑みを形どり、それは何処かしら慈愛を感じさせるものだった。
 優しいその笑みのまま、彼は呼んだ。

「リオン」

 なぜか声は聞こえなかったが、口の動きでなんと言ったかは知れた。
 もっと、自分の存在を知らしめて、

 そして、

 少年はつないだ手をぐいと自分のほうに引き、彼の限りないほど近くに行く。
 反動で屈みこむ青年のその唇に、触れる。


「その声も聞かせろ。」


 ああ、あたり一面光の雨が降っているようじゃないか。



 窓から差し込む朝日が、まるでシャワーの様に降り注ぎ、傍らにいる青年の金の髪を爛々と輝かせ、浮かび上がらせる。

 もう、いい。
 全部よこせ、
 何もかも、世界なんてどうでもよかったのに。

 お前がいるから僕はここにきてしまったんだ。