二章 再・集結
気がつくと、スタンは自分の小屋に戻っていて、恐らくリオンだろうと思われる少年は自分のベッドに寝かされていた。
無意識のうちに体が動いたのだろうか。それまでの行動をスタンは覚えてはいない。
自分はいつの間にかリオンを寝かせたベッドの前に椅子に座っていたのだ。
はっとする。
知らせなければ。
かつての仲間に。
彼がリオンなのかまだ自分では判断できないが、しかし彼らがいてくれたほうが冷静にものを考えることが出来るんじゃないだろうか。
だが、彼がリオンではなくまったくの別人であったら?
スタンの思考は底なしの泥沼にはまってしまったかのように前進しない。
なにか、彼がリオンであるという確証を捜したほうがいいのだろう。
そう思ったスタンは自分のベッドにすやすやと眠る少年をじっと見つめる。
まずは名前を聞くのが一番なのだろうが、起こしてしまうのは忍びない。
顔も、華奢な体も、その印象深い艶やかな黒髪も、全てリオンと同じもの。
スタンはさらりとしたその黒髪を優しく撫でてみた。この手触りも、変わりない。リオンのものと同じだ。それをスタンは間違えるはずもない。彼は自信を持ってそう思う。
その時、髪を撫でていた指が耳元の硬いものに触れた。
「?」
なに?
スタンは少年のほうに屈みこみ、それを覗き込むように見つめる。
小さなその耳たぶにシンプルに輝くピアスが飾られている。
それは左の耳にしかつけられていない。
スタンはその青い瞳を見開き、泣き出しそうな顔をしながら震える手で自分の右耳に触れる。彼の左の耳に飾られているものと同じ感触。
彼は、リオンだ。
スタンは心の中で力強く断言した。
しかし体は弱々しく震えている。
「何で今、帰ってきたんだ?」
震えた声で問うが、それに答える声はない。
彼はまだ、リオンはまだ目覚めてくれていないのだ。
かつての仲間、ルーティ・カトレットは三日と経たずにスタンの許にやってきた。
はきはきとしているが、その面影はなんとなくリオンと似通ったものをうかがわせている。それはやはりルーティとリオンに血のつながりがあるからなのだろうか。
年を負うごとに、ルーティとリオン二人の容貌には似通ったものが表れてきているとスタンは思う。
ルーティの相変わらず黒々とした髪は首許で短く切りそろえてある。動きやすい装備は昔のままだった。
ただほんの少し年をとっていて、あの頃の少女然としたものが薄れていてルーティには女性としての若々しい美しさが突飛してきていた。さすが姉弟だ。二人は種類は違えど似通った美貌の持ち主だ。
リオンが暗闇に浮かぶ孤高の白い月ならば、ルーティは昼間の燦々と輝き照らす太陽のようなものだ。
しかしルーティがそれを聞けば、それは両方あんたにも当てはまることよと言うのだろう。
スタンは仲間たちから見れば、太陽のようにまぶしく輝きしかしあるときは月のようにひっそりとした瞳をしていた。
彼はその二面性を持て余している危なっかしい、弱々しいものを見る者に抱かせていた。
スタンは戦いのときを共に過ごした仲間とは戦後一度しか顔を合わせていない。
スタンは彼らと別れた後まるで隠れてしまうかのように慣れ親しんだ家族と故郷を自分自身から遠ざけ、誰にも告げずにこの村にたどり着いたのだ。
それ以来彼らに連絡は取らずに、このちいさな森の中の村から滅多に出ることも無かった。
「あんた、せっかく奇麗な長い髪、切っちゃったのね。勿体無い。」
それがルーティの第一声だった。その後、「こんな所に居ればいくら捜したって見つかるわけ無いじゃない。スタンにしては上手く隠れてたわね」
と、寂しげな瞳をして言った。あの頃はしなかった表情だ。
やっとスタンは自分がこれまで過ごして来た時間の長さを思い知る。
変わらないと思っていたルーティはやはり数年間という長い時間ゆえかそれを確信した瞬間、がらりと雰囲気が変わってしまう。
それはスタンも同じなのだろうか。たとえばそう、ルーティが挙げたように短く切ってしまった髪とか。
そして、スタンはあの頃のように今は防具を身につけるようなこともなくなっていた。今はそこらの村人と同じ薄い麻のシャツとズボンを着込んでいる。
あの白い装備は小屋の物置の奥底にでも仕舞ってあるのだろうか。それとももしかしたらリーネの村に置き去りにしてきたのかもしれない。
「でも久しぶり。会えてとても嬉しいわ。」
優しそうに笑い、ルーティが言った。
一瞬にスタンの思考が晴れる。
そうだ、この言葉を自分は聞きたかった。
本当は恐れていた。なぜ何も知らせてくれなかったのだと、何故逃げたのだと、何故隠れたのだと、本当は責められるのかもしれないとスタンはずっと恐れていた。
しかしあの戦いの中で生まれた絆と、そして傷を、スタンはまだ心の中に持ち続けていた。絆に触れたかったが、それをするとまた傷口がぐじぐじと開いて痛み出すのだと恐怖を感じていた。
それでも、彼が自分の許に帰ってきてしまったから。
止まっていた何かが再び息を吹き返したのだ。
「うん・・・」
ルーティの言葉に、少ない言葉で、でもこれ以上無いものをスタンはこめてうなずいた。
変に曇っていた視界が晴れたようだった。
「で、リオンは本当にここにいるの?分かってると思うでしょうけど、嘘だったら承知しないわよ」
「こんな重要なことに、うそなんかつけないよ」
スタンは苦笑いして言う。
ルーティ自身、嘘ではないと分かっているのだろう。これはあの頃よくしていた言葉遊びの一つに過ぎないのだ。
ああ、あの頃の感覚が戻ってくるようだ。
「こっちの部屋に寝かしてある。」
スタンは自分の寝室に続くドアのノブに触れる。
「あんたのベッドに?」
「あいにくこの小屋にはベッドは一つしかないから、自動的にそうなるよ」
スタンの答えにルーティが眉をひそめる。この答えがお気に召さなかったのか、それともルーティはスタンとリオンの関係について何かしら悟っていたのかもしれない。
スタンとリオンの関係は、友情というには近すぎて愛情というには未熟なものにしか過ぎなかった。否、友情はあった。もしかしたら愛情もあったのかも知れないが、だからといってその感情から何か新しいものが生み出せるというものでもなかった。やはり彼らはそれらも込み全てにおいて未熟だったのだ。行き過ぎたその感情に名前がつけられなかった。
どんなに近くても、言葉を交わしたりふれあいを持ってしても、スタンとリオンは何の答えも見出せなかった。
それも一つの絶望だとスタンは戦いが終わってから気づいたのだ。
「早く開けてよ。」
ドアの前で動きを止めていたスタンにルーティが言う。
スタンはそれに急かされるように、無言で静かにドアを開ける。
ルーティが息を呑む。
窓から照らされる光に煌めき眠るリオンは、さながら眠りの森の姫のようだった。
「本当だったのね、リオンが帰って来たって・・・」
いっそ、清々しい声でルーティが言った。
その瞳には、驚きとは何か違う感情が見え隠れする。
ルーティは冷静だった。何か遠くを見つめるようにスタンの視線はルーティを通り越すかのようだった。
ルーティは美しい寝顔のリオンを見つめていた。
「二度も死んだこの子は、何の為に私達の許に帰って来たのかしら。」
ルーティはゆっくりと瞬きをする。
形のいい口元が小刻みに震えている。
「リオン・・・」
「ううん・・・違う――・・」
ルーティが顔を上げスタンのほうに振り向く。瞳は言葉よりも何かを雄弁に語りたがっていた。
スタンもルーティを見やる。
ルーティが続けて口を開いた。
「あんたに・・・あんたに会いに帰って来たのかもしれない」
何故瞳はそんなに穏やかなんだ。まだ口元は震え、声さえか細く力なく震えてる。でもルーティの声だ。いつものあの、はきはきとして、明るい・・・
「皆を呼びましょ。」
なんて、冷静な瞳。
「これは、皆にとって・・・大事な問題よ」
ルーティは自分より年下のはずなのに。
「うん・・」
ルーティの言葉に頷きながらスタンは考える。
彼女はなんて大人なんだろう。
数年間、自分だけが切り離されて、違う長さの時を過ごして来たのだろうか。
「わかってるさ―――・・・」
青い瞳は、寝入る懐かしい横顔に見入っていた。
それを、切なそうに彼女は見つめる。
ああこれは、過去のことだ。
いつも以上に無表情のリオンが自分たちより一段高い場所に立っていた。
洞窟の出口に続く道。
冷たい、黒に近い紫の釣り目の瞳が自分たちを見下ろす。
「リ・・・オン・・?」
唖然とした、硬いスタンの声が壁に反響して辺りに響く。
リオンは無表情のまま、彼らを見下ろし続ける。リオンの後ろの通路から風が入り込んでくるらしく、彼の黒髪と身に着けた紅いマントがひらりと舞う。黒髪が揺れるたびに、片耳に飾られたピアスがちらりと輝く。もう片方の耳に同じ物は無く、その片割れのピアスはリオンを愕然とした顔で見上げるスタンの片耳を飾っていた。普段彼の長い金髪にまぎれてそれは目立つことは無いのだが、なぜか今だけは、禍々しいほどにその存在を主張していた。
場の薄暗さのためではない、スタンの顔は誰が見ても眉をひそめるほど青白く、その表情は疲れをにじませていた。
やっと会えたと思ったら、先の戦いを一緒に渡り歩いたかつての仲間は、スタンらにその剣の先を向けてきたのだ。
これは夢だ。
スタンは必死に自分に言い聞かせる。
そうでもしなければ、今すぐにでも自分は悲鳴を上げて崩れ落ちてしまうだろう。そう、確信していた。
ただ、冷たいリオンの顔を見上げるたびに、その冷たさに身が凍る思いがして体の奥底のほうから荒々しいほどの奮えと、良く分からない荒々しい感情が色々な物の激流となって押し寄せてくるようだった。
壊してしまう、何もかも。
誰が壊したのだろう、自分たちを裏切ったリオンなのか、それともリオンの心を思いやれなかった自分たちなのか。
それからのスタンは、何か可笑しかった。
体が勝手に動き、勝手に発言していた。自分が何をしているのか何を言っているのかも理解できなかったし、そのリオンの言葉も殆どの物を聞き逃していたかもしれない。
何も理解できずに、スタンの意識とは勝手に体は動き、事態は最悪な方向に向かっていく。
いや、その時もうスタンに意識なんてものは無かった。
なのに何故、この手に、リオンの剣を受けたときの衝撃や、リオンに技を繰り出したときの手ごたえが残っているのか、あの声が耳に焼き付いているのか。
あの時、リオンに剣を向けるごとに自分は何十、何百と死に、スタンに向かってリオンが剣を向けるたびに、やはりリオンは何百と死んだのだ。
それは体のことでも心でもなく、ただ彼らの信じる何かの見えないけれど具現化したものがこれまでに無いほどに切り刻まれ何度も塵と灰になったのだ。
葬ることも出来ないそれはしかし何度も再生し、その度に二人に焼切れるほどの激痛をもたらしているのだ。
だが止まらない。
この時、彼らの意思などお構いなしに、運命は真っ二つに割れ別れてしまっていた。
認めることなど出来ないけど、確認してしまった。
この目で見てしまった。
その証が、リオンの血と命だったんだ。